最上義光のこと♯2 【今までの最上義光評価】:山形の歴史・伝統
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【今までの最上義光評価】
大正二年(1913)は、最上義光没後三百年に当たっていた。
山形城を築き、山形市の原型をつくりあげた英傑ということで、山形市民は盛大な記念行事を行なった。
その総括として翌年に発行された記念誌では、次のように最上義光をたたえている。読みにくい文体だが、一部を抜き出してみよう。
「国民にして尚武の気風甚だ貧弱なるに於ては到底宇内列強の競争場裡に立ちて対峙的態度を取ること能はざるを知らざる可らず、由来英雄栄拝が日本国民性として意義あるも亦た以なきにあらざるなり、我が山形中興の最上義光公の如きは此意味に於て最も崇仰すべきグレートマンたると同時に山形市が今日に於て東北地方の一都市として雄を競ふに足れるも亦た要するに公が遺徳と遺績の之が因たらざる可らず」
このように、西欧に追い付き追い越そうとする時代風潮を反映して、高い評価がなされている。
戦後は武人的な面は強調されず、単純に 「山形の城や町をつくった大名」となり、義光祭もまた商店街に活気をもたらすイベントとなったのだった。
■■片桐繁雄
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