長谷堂合戦図屏風:山形の歴史・伝統
山形の歴史・伝統
参加者絞込
ryu1 note
鈴鳴草子 〜鈴の宿 登府屋旅館〜
山形の観光旅行写真
山寺紀行 / Yamadera Blog
米沢上杉まつり公式ホームページ
南陽市観光協会
最上義光歴史館
山形蔵王の魅力満喫ブログ/ZAO blog
小野川温泉 吾妻荘
スタッフヤマガタン(ヤマガタン事務局)
伝国の杜 情報BLOG
山寺芭蕉記念館
天童市観光情報センター
かみのやま満喫ブログ
山形滝山ブログ / Takiyama Blog
(社)上山青年会議所
やまがたでの日々の暮らし・自然・風景
よねっこジェーピー
■
H O M E
■
メモ集
■
カレンダー集
■
ブックマーク集
■
イメージ集
長谷堂合戦図屏風(はせどうかっせんずびょうぶ)
長谷堂合戦は慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の地方戦です。
山形県のほぼ全域で、東軍の最上軍と西軍の上杉景勝の重臣直江兼続の軍が戦いました。
長谷堂は山形城から目と鼻の先、山形市の西方に位置します。
屏風は右隻が9月15日の様子、左隻が10月1日前後の様子です。
最上軍、直江軍とも有名な武将は名前が表記されています。
大将の最上義光も直江兼続もしっかり描かれています。
作者はこれまで戸部正直といわれてきましたが、近年その伝承について見直されています。詳細は>>
こちら
▲右隻:長谷堂の攻防。右手には、長谷堂城主志村伊豆守の出陣姿が描かれています。左手には、軍配を持つ直江山城守ほか上杉軍の精鋭が描かれています。右上の建物が長谷堂城です。(※クリックすると拡大します)
▲左隻:退却する上杉軍と追撃する最上軍が描かれています。中央には、有名な鉄の指揮棒をふるって猛追する大将最上義光、左手には、鉄砲隊に守られた寄せ手の大将直江山城守が描かれています。(※クリックすると拡大します)
【参考】
・
解説シート〜長谷堂合戦図屏風
・
解説シート〜武将詳細図
2006.06.25:Copyright (C)
最上義光歴史館
ゲストさんようこそ
ID
PW
■
当サイトについて
■
参加者数
合計 18人
■
記事数
公開
1,457件
限定公開
0件
合計 1,457件
■
アクセス数
今日 1,306件
昨日 165件
合計 1,832,888件
■
ケータイサイト
powered by
samidare
system:
samidare community
山形県のほぼ全域で、東軍の最上軍と西軍の上杉景勝の重臣直江兼続の軍が戦いました。
長谷堂は山形城から目と鼻の先、山形市の西方に位置します。
屏風は右隻が9月15日の様子、左隻が10月1日前後の様子です。
最上軍、直江軍とも有名な武将は名前が表記されています。
大将の最上義光も直江兼続もしっかり描かれています。
作者はこれまで戸部正直といわれてきましたが、近年その伝承について見直されています。詳細は>>こちら
▲右隻:長谷堂の攻防。右手には、長谷堂城主志村伊豆守の出陣姿が描かれています。左手には、軍配を持つ直江山城守ほか上杉軍の精鋭が描かれています。右上の建物が長谷堂城です。(※クリックすると拡大します)
▲左隻:退却する上杉軍と追撃する最上軍が描かれています。中央には、有名な鉄の指揮棒をふるって猛追する大将最上義光、左手には、鉄砲隊に守られた寄せ手の大将直江山城守が描かれています。(※クリックすると拡大します)
【参考】
・解説シート〜長谷堂合戦図屏風
・解説シート〜武将詳細図