奥の細道紀行(ver2021):山形の歴史・伝統
山形の歴史・伝統 |
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新暦にして7月19日、新庄を発った芭蕉と曽良は、本合海より最上川を下ります。清川で下船し、
羽黒に着きました。羽黒山の南谷別院に泊まりました。
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新暦にして7月17日、大石田を発った芭蕉と曽良は、新庄に至ります。
渋谷甚兵衛(俳号:風流)宅に泊まります。
水の奥氷室(ひむろ)尋ぬる柳哉 芭蕉
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新暦にして7月14日、山寺を発った芭蕉と曽良は、大石田に至ります。
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新暦にして7月13日、芭蕉と曽良は尾花沢を発ち、山寺に向かいます。鈴木清風が楯岡まで馬を出してくれたので、山寺には午後2時50分から3時40分の間に着くことができました。芭蕉はこの日のうちに山寺立石寺の参拝を行います。この日は山寺の宿坊に宿泊しました。
閑さや岩にしみ入蝉の声 芭蕉
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新暦にして7月4日、尾花沢に滞在中の芭蕉と曽良は、鈴木清風宅の近くの養泉寺に宿所を移しました。
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新暦にして7月3日、堺田を出た芭蕉と曽良は、昼過ぎに鈴木清風宅に着き、ここに泊まりました。
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新暦にして7月2日、芭蕉と曽良は大雨のため堺田の同所「封人の家」に留まります。
蚤虱(のみ・しらみ)馬の尿(ばり)する枕もと 芭蕉
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新暦にして7月1日、芭蕉と曽良は岩出山を出て、鳴子より尿前関を越え、
出羽国新庄領に入ります。この日、堺田の新庄領の番人の家に泊ります。
芭蕉はこの家を中国の関所の番人になぞらえて「封人の家」と呼びました。
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新暦にして6月29日、芭蕉と曽良は平泉に着きます。中尊寺・光堂・高館
などを見て、この日は一ノ関に泊まりました。
五月雨の降り残してや光堂 芭蕉
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新暦にして6月20日、芭蕉と曽良は白石を発ち、岩沼で武隈の松を見物し、笠島を望見し、仙台に入りました。
この晩は国分町の大崎庄左衛門宅に泊まりました。
桜より松は二木(ふたき)を三月越し 芭蕉
笠島はいずこ五月のぬかり道 芭蕉
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新暦にして6月9日、芭蕉と曽良は須賀川に着きました。地元の俳人相楽等躬の家に泊まりました。
風流の初めや奥の田植歌 芭蕉
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新暦にして6月7日、芭蕉と曽良は那須の湯本を出、奥州街道筋に入り、遊行柳を見て、白河の関を越えました。泊まりは旗宿でした。
田一枚植えて立ち去る柳かな 芭蕉
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新暦にして6月6日、芭蕉と曽良は那須の湯本で温泉神社を詣で、殺生石
を見ます。
石の香や夏草赤く露暑し 芭蕉
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新暦にして6月5日、芭蕉と曽良は高久を出て那須の湯本に至ります。
温泉宿和泉屋に泊まりました。
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雨のため芭蕉一行は、新暦6月4日も高久の高久角左衛門の家に泊まりました。
落ち来るや高久の宿(しゅく)の郭公(ほととぎす) 芭蕉
(芭蕉が高久家の主のために詠んだ句)
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新暦6月3日、芭蕉一行は昼頃に余瀬を出立、高久に着いて高久角左衛門の家に泊めてもらいます。
野を横に馬牽(ひ)きむけよほととぎす 芭蕉
(余瀬から奥州街道筋の野間まで馬で送ってもらった際の句)
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新暦5月21日、芭蕉一行は那須黒羽の余瀬に着きました。この晩、余瀬の俳人・翠桃の家に泊まりました。
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新暦5月20日、芭蕉一行は裏見の滝・含満が淵などを見物、昼に日光を出発しました。その日は玉生(たまにゅう)〔現、栃木県塩谷郡塩谷町〕に泊まりました。
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新暦5月19日、芭蕉と門人・曽良は鹿沼を出て、日光に着きました。御宮を参拝し、日光上鉢石町の五左衛門と所に泊まりました。
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新暦5月17日、芭蕉と門人・曽良は粕壁を出て、栗橋の関所を経て、間々田(現、小山市内)に泊まりました。
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新暦5月16日、芭蕉と門人・曽良は深川を出船して、「おくのほそ道」行脚の途につきました。この日は粕壁に泊まりました。