旧六十里越街道を歩く(1):米沢学アカデミー
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旧六十里越街道を歩く(1)
7月28日、29日、今年は月山の「高山植物を訪ねる会」
が行われた。しかし、雨天で月山へは登ることは出来ま
せんでした。代わりのメニューとして旧六十里越街道を
歩くことになりました。
六十里越街道とは、今から約1300年前ころから山形城
下と庄内の鶴岡を結ぶ道として開かれた街道で、時代の
流れとともに塩の道や軍道、そして信仰の道など、街道
は性格を変えながら栄えててきた。特に街道筋に残る石
碑群から「湯殿山参り」と称された信仰の道としての繁
栄ぶりをうかがい知ることが出来ました。
2011.07.31:Copyright (C)
おしょうしな ネット
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下と庄内の鶴岡を結ぶ道として開かれた街道で、時代の
流れとともに塩の道や軍道、そして信仰の道など、街道
は性格を変えながら栄えててきた。特に街道筋に残る石
碑群から「湯殿山参り」と称された信仰の道としての繁
栄ぶりをうかがい知ることが出来ました。