上杉文華館「上杉家の未来 −鷹山の意志を継ぐ者たち−」。:置賜の宝発掘プロジェクト(仮称)
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上杉文華館 「上杉家の未来 −鷹山の意志を継ぐ者たち−」
展示期間は、平成26年2月25日(火)〜平成26年3月30日(日)まで。
国宝「上杉家文書」を中心に藩政改革に取り組んだ上杉鷹山の生涯をテーマとした全十二回、今年度最後の展示です(●≧艸≦)
今回の資料紹介は
国宝「上杉家文書」
「上杉斉定心付」(うえすぎなりさだこころつき)
江戸時代 (天保七年・一八三六)
一八・九×一五五・五
米沢市上杉博物館
〔 解 説 〕
天保七年四月、上杉斉定は将軍徳川家斉(とくがわいえなり)から鷹山以来の治世を称賛され、鞍(くら)と時服を下賜されました。本文書は、この賞賛を機に藩内の古い弊害を一掃するよう、斉定が家臣などに指示したものです。
鷹山は存世中の天明七年(一七八七)にも将軍から善政を称賛されています。その死後、子孫まで将軍から善政を賞賛されることは、ごく稀なことでしょう。しかし、この文書によれば賞賛されたからといって喜んでばかりもいられないようです。斉定は、賞賛された以上は落ち度がないよう、藩士から下々まで用心し恥を知るように、と述べています。また米沢の統治は有名だが内実が伴わないとし、この機会に古い弊害を改善するため重臣たちに助力を求めています。
当時、鷹山はすでに藩政改革の手本として全国的に有名であり、この将軍からの賞賛は亡き鷹山の名声をさらに高めたことでしょう。有名ゆえに失敗は許されないが、現状は問題点もある、そのような状況下で、斉定は鷹山の藩政改革を継承していったのです。
鷹山は文政5年(1822)2月に体調を崩し、3月12日に72歳で亡くなります。その遺志を継いで藩政改革を行ったのが斉定です。斉定は7歳から鷹山の元で育てられ、隠居所に住んで鷹山から直接、国政の手ほどきを受けました。天保10年(1839)に12代藩主となった斉憲は、幼児の時に鷹山が亡くなったため、直接にはその教育を受けていませんが、鷹山の治世を手本とし、幕末の動乱期に立ち向かいました。なお、天保7年(1836)には斉定が、安政元年(1852)には斉憲が、幕府から鷹山以来の善政を賞賛されています。
鷹山の政策や意思は、死後も歴代の藩主に受け継がれ、米沢藩の政治を方向付けていったのです。
明治時代以降、鷹山を評価する視点は農政、民政、組織運営などと時代ごとに変化しつつ、現代まで理想のリーダーとして人々に敬愛され続けています。
学芸員による、コレクショントーク、3月22日(土)14:00〜です☆*:.。.
スタッフ一同、ご来館お待ちしています。
次回、展示予定
《 上杉鷹山をめぐる人々 》
「 上杉家と秋月家 」
【展示期間】:平成26年4月1(火)〜4月30日(水)
お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238−26−8001まで