上杉文華館「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」:置賜の宝発掘プロジェクト(仮称)
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本年度の上杉文華館は、「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」をテーマに国宝を中心としたゆかりの文化財、貴重な史料をご覧いただきたいと思います。
【展示期間】平成31年1月8日(火)〜平成31年2月3日(日)
《第10回 米沢藩の刑法》
国宝上杉家文書の近世文書には上杉鷹山周辺の多くの内政文書や幕末・明治期資料が含まれています。今回は刑罰に関する文書四通です。
文化9年(1812)12歳の下級武士の子保科久米蔵は、悪戯心から米沢城の大手門(追手御門)の蜂巣に火を付けたところ城門に燃え移ってしまいました。放火は大罪でそれが城の一部とあっては大事件です。少年とはいえ米沢藩の執行部はその措置を牢内での討首と決しました。火あぶりよりは軽い刑ですが、この少年が日頃からの悪童であったことから嘆願書も出されませんでした。しかし、その年藩主になったばかりの斉定(11代藩主)は心を痛め、大殿様鷹山も無期懲役を主張して、先例や事例を調べるよう提案していました。今回の二通は藩主斉定が先例を調べたと思われる覚書と儒学者古賀精里に求めた事例の回答です。牢内討首という罪科は覆りませんでした。しかし、藩主斉定が安易に決定したり、家臣任せにせずに心を尽くしたことに、鷹山は感心した旨の書状を書き送っています。人々を守るための法ですが、時折矛盾を抱えていると思われることは現代にも通じる事件でした。それに真摯に向き合った二人の殿様の姿勢を垣間見ることができます。
その他、罪に対する厳しい姿勢を示した鷹山の書状は、死刑に言及しているため鷹山の死刑論とも言われる一通です。また、もう一通は執筆者不明ながら、格式に合った仕置場所を主張した意見書です。
米沢藩では、「御代々御式目」(おんだいだいおんしきもく)という代々の法令集や、罪と罰を記述した「中典類聚」(ちゅうてんるいじゅう)「御呵附引合」(おしかりつきひきあわせ)「御裁許抄」(ごさいきょしょう)などが伝存していますが、慣習によるところも大きく、同じ犯罪でも状況が異なるとその都度の判断が求められました。
織田信長が謙信に贈った狩野永徳筆の国宝「上杉本洛中洛外図屏風」は、複製(2作目=複製B)となります。
▼ コレクショントーク
平成31年1月12日(土)
14:00〜
場所:常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
皆さまのご来館を心よりお待ちしております。
【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238−26−8001