「川中島合戦」「武てい式」「軍団行列」【米沢市】上杉まつり:置賜の宝発掘プロジェクト(仮称)
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「川中島合戦」「武てい式」「軍団行列」【米沢市】上杉まつり
2013.05.08:Copyright (C) 置賜文化フォーラム
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置賜文化フォーラム編集員の「文化リス」です。
ゴールデンウィークも終わり、みなさんいかがお過ごしですか。
米沢市では、米沢の春の一大イベントである「上杉まつり」が開催されました。
5月2日(木)に行われた「武てい式軍団行列」と「武てい式」
そして米沢上杉まつりの目玉イベントである
5月3日(金)に行われた「川中島合戦」の模様をお伝えします。
「上杉行列」は別の取材のため行けませんでしたが、桜吹雪の中の龍虎激突「上杉まつり」の様子をたんまりとお伝えしたいと思います。
みなさんにお伝えするという使命を任された文化リスはどこまでも行きます!
そして、上杉まつり期間の人出は、昨年を5万人上回る25万人でした。(上杉まつり実行委員会より)
主な内訳は、上杉まつり初日となった29日が5万人。
「武てい式」が行われた2日が1万5千人。
まつり最終日となった3日は、「上杉行列」に8万人、
「川中島合戦」に6万千人、松が岬公園(上杉神社)周辺などを含めると、計17万5千人でした。
すごいですね!
そんな大盛況の模様を、
5月2日(木)の「軍団行列」「武てい式」
5月3日(金)の「川中島合戦」と順にお伝えしていきますので、ぜひ最後までご覧ください。
それでは、まず「軍団行列」から。
威風堂々たる上杉軍団の甲冑行列と、戸毎の上杉紋旗が5月の風にはためきます。
米沢の町中を悠々と歩く軍団行列は潔さを感じます。
戦国武将が並んで歩く光景はまさにこの季節の風物詩ですね。
次に、同日18時半から行われた「武てい式」です。
「武てい式」とは、上杉謙信が戦いの前に必ず行ったという儀式。
赤々と燃えるかがり火の中で、約一時間にわたって荘厳にとり行われ、つめかけた観客をしばし戦国の世へ誘いました。
上杉砲術隊が1年7か月ぶりに復活し、発砲演武を披露したりと、迫力あるごう音が米沢に鳴り響きました。
当日は、武てい式保存会の会員によって再現されました。
いよいよ川中島へと向かった上杉軍。
その志は強く固いものだったのでしょう。
戦国史上最大の死闘が米沢の町に蘇ります。
翌日5月3日(金)「川中島合戦」の様子です。
桜吹雪の中、龍虎が激突。
上杉発砲隊と武田発砲隊がそれぞれ幾度も発砲したり、武田別動部隊の川渡りなど、見応えたっぷりでした。
武田軍2万人と上杉軍1万3千人が川中島で相対した戦い。
五度の戦闘のうち、第四次川中島の戦いは史上空前の大激戦となり、
その戦死者、負傷者の数を聞いて驚愕しました。
両軍あわせて8千人にもなる戦死者、約2万名弱の負傷者を出したということですから、両軍が引き揚げた後の川中島一帯は死体で埋め尽くされていたでしょう。
血で血を洗う戦いとなり、両軍合わせて5分の1以上が戦死した、という計算になります。
川中島の戦いは相当凄惨な戦いだったということがわかります。
帰り道の桜も綺麗でした。
今年は上杉まつりのさなか、桜も散らずにいてくれて本当に良かったですね。
文化リスは「米沢上杉まつり」を見たのは初めてでした。
今まではテレビやニュースなどで見たことしかなかったので今回見ることが出来て良かったです。
米沢の歴史を感じる春のひとときでした。
GWは他にも沢山取材に回ったので、また追ってお伝えしたいと思います。
P.S.
去年(2012年)の置賜文化フォーラム内での上杉まつりの記事を読んでみました。
フォーラム歴代編集員(ネコさん更新)による過去の記事です。
なるほど、前の編集員ネコさんは「川中島合戦」に高坂弾正隊(川渡りの)として出陣してたのですね。
それにしても、置賜文化フォーラムWEBサイトは1年前と比べてだいぶ変わりましたね。
編集員ひとりですが、『文化リスがんばりますっ!!2013』
これからも良いデザインが思いついたらいいな。
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