常設展示室 上杉文華館《 上杉家と秋月家 》:置賜の宝発掘プロジェクト(仮称)
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平成26年度の年間テーマは「 上杉鷹山をめぐる人々 」です\(>О<)/
9代藩主上杉鷹山をめぐる様々な人々にスポットをあて藩政改革と鷹山の人物像、当時の武家社会について国宝「上杉家文書」の中から毎月展示資料を入れ替えながらご紹介いたします。
今年度1回目の上杉文華館 「上杉家と秋月家」
【展示期間】:平成26年4月1(火)〜4月30日(水)まで。
【コレクショントーク(常設展示室展示解説)】:4月5日(土)14:00〜。
国宝「上杉家文書」
榊原政堯撰伝名記(さかきばらまさたかせんてんめいき)
江戸時代 寛政12年(1800)7月
24.8×16.6
米沢市上杉博物館
〈 解 説 〉
鷹山の兄、秋月種茂の善政を、旗本の榊原政堯が漢文体でまとめ、その善政に合致する格言を補足したものです。
秋月種茂は宝暦一〇年(一七六〇)、高鍋藩の第七代藩主となり、文武の振興、藩校明倫堂の設置、困窮者の救済などを行いました。種茂と鷹山の政策には共通、類似するものも多いようです。
この文書の大部分は、医者・橘南谿(たちばな なんけい)の旅行記「西遊記」仁政篇のうち、秋月種茂関係部分を漢文体に改めたものです。序によれば、榊原は「西遊記」を読んで感激し本書をまとめ、その善政が古代の聖人・君子の言葉と合致することを示すため、格言を補記した、とあります。「西遊記」では秋月種茂を「奥州上杉弾正殿の御舎弟(実際は兄)」と紹介しており、種茂・鷹山の兄弟が当時の知識階級によって、善政を行う領主として知られていた様子がうかがえます。なお、寛政七年に刊行された『西遊記』で、仁政篇は省略されています。このため、榊原が読んだのは写本の「西遊記」だったことが分かります。
このように、江戸時代中期以降、写本・刊本などの書物を通じて、諸国の善政の情報が全国に広められました。
<上杉家と秋月家>
鷹山の生家・秋月家は戦国大名・秋月種実の子・種長が財部(のちに高鍋と改称)に入封、以後幕末まで11代に渡り同地を治めました。上杉家との縁は、4代藩主 鷹山の生家・秋月家は戦国大名・秋月種実の子・種長が財部(のちに高鍋と改称)に入封、以後幕末まで11代に渡り同地を治めました。上杉家との縁は、4代藩主家風を知り、家臣と信頼関係を築くことは大きな課題だったことでしょう。米沢藩江戸家老・竹俣当綱は家督前の治憲に意見書を提出し、2代藩主定勝の故事を引用しつつ、藩主が家臣と親しく接する重要性を説いています。米沢藩桜田屋敷の図からは、江戸での治憲の暮らしぶりがうかがわれます。 治憲の兄で秋月家を継いだ種茂は高鍋藩の隆盛期を築いた人物とされ、上杉家にもその善政録「伝名記」などが伝来しています。また上杉斉定の娘・雍(よう)は10代藩主秋月種殷(たねとみ)に嫁ぐなど、両家は血縁関係を重ねました。
次回、展示予定
《 上杉鷹山をめぐる人々 》
「 二人の父、秋月種美と上杉重定 」
【展示期間】:平成26年5月1(木)〜5月27日(火)
【コレクショントーク(常設展示室解説)】:5月10日(土)14:00〜
お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238−26−8001まで