上杉文華館「鷹山亡き後は…」:置賜の宝発掘プロジェクト(仮称)

置賜文化フォーラム
上杉文華館「鷹山亡き後は…」

すっかり春めきまして皆様、いかがお過ごしでしょうか。p(*^-^*)q

突然ですが「新」という字を字解すると「木を切って立つ」となります。この漢字が生まれた中国で最初の文明である殷帝国が始まる前は中国北部は密林だったという説がありまして、中国文明はどうやら木を切りながら生まれたようです。p(*^-^*)q

 さて、当館の常設展室内の上杉文華館は国宝上杉家文書を常時見ることができる展示室です。そのテーマも新しくなりまして、今年度は」「 国宝『上杉家文書』に見る幕末の米沢藩」です。上杉家文書のうち幕末期のものは未だ大部分が活字化されておらず、初公開の資料もご紹介いたします。

平成27年度、全12シリーズの第1弾は…

「 鷹山亡き後は… 」

【展示期間】:平成27年3月31日(火)〜4月27日(月)

 

 文政5年(1822)2月、上杉治憲(鷹山)は病床に臥し、3月12日、米沢城三の丸の隠居所・餐霞館で亡くなりました。享年72歳、戒名は「元徳院殿聖翁文心」です。
鷹山は明和4年(1767)に第9代米沢藩主となって以来、財政の再建・精神の改革、産業の育成など藩政改革に取り組み、大きな成果をあげた大名として有名です。天明5年(1785)に隠居してからも、10代治広、11代斉定の治世を助言・指導していました。鷹山時代の改革の成果を引き継ぎながら、米沢藩は天保の飢饉や西洋列強の脅威、幕末動乱の時代をいかに歩んだのでしょう。

国宝「上杉家文書」 上杉斉定自筆書状 (文政五年・一八二二)

法   量:一六・三×四二・九

所   蔵:米沢市上杉博物館

 

                                               

 

江戸へ出発する直前の第11代藩主・上杉斉定が、米沢藩の重臣たちに留守中の心得を示した文書です。文政五年三月一二日の鷹山死去(文中の元徳院はその戒名)後、間もなくの参府にふれていることから、同年五月頃の文書と考えられます。

◆コレクショントーク 
 平成27年4月4日(土)14:00〜

講師:当館学芸員 佐藤 正三郎

場所:常設展示室 上杉文華館

※入館料が必要です。

 

次回、平成27年度予定

上杉文華館  《 国宝上杉家文書にみる幕末の動乱 》

「 天保の飢饉」

【展示期間】:平成27年4月28日(火)〜5月26日(火)

◆コレクショントーク  平成27年5月30日(土)14:00〜

  .。o○.。o○ お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238−26−8001まで .。o○.。

 

平成27年度も上杉文華館をよろしくお願いします。

 


2015.03.31:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
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