上杉文華館「幕府と朝廷の間で」:置賜の宝発掘プロジェクト(仮称)
置賜文化フォーラム |
上杉文華館「幕府と朝廷の間で」
2015.10.29:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
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「上杉文華館」の11月の展示をご紹介します。
当館常設展室内では国宝上杉家文書を常時見ることができる上杉文華館があります。
今年度のテーマは「 国宝『上杉家文書』に見る幕末の米沢藩」です。
上杉家文書のうち幕末期のものは未だ活字化されていないものも多く、初公開の資料もご紹介します。
平成27年度、全12シリーズの第8弾は…
「幕府と朝廷の間で」
【展示期間】:平成27年10月29日(木)〜11月24日(火)
文久3年、上杉斉憲率いる米沢藩士一行は、将軍徳川家茂の御供のため京都に上り、幕府と朝廷、公家と諸藩が攘夷(外国の排除)の実行をめぐって争い、新たな政治体制を模索するなか、一致協力して国難にあたる公武一和実現のために活動しました。
家茂は斉憲の尽力もあって帰国を許され、6月3日に御所を訪れた後、江戸へ戻りました。一方、米沢藩は帰国が許可されず、天皇親征、横浜鎖港といった課題が山積する中、諸藩とともに調整に尽しました。8月5日には天皇が閲兵する軍事訓練に参加、西洋式銃隊などを披露しました。薩摩、会津の両藩が長州藩はじめ過激な攘夷勢力を京都から排除した8月15日の政変では、米沢藩は会津・薩摩側について御所を警備し、長州藩に兵を引くよう周旋しました。この政変により公武一和はある程度実現したため、斉憲は朝廷から帰国を許可され、9月22日に京都滞在中の功績によって、中将に任じられたのです。
朝廷の任命を幕府が追認
国宝「上杉家文書」
老中達書
時代:文久3年(1863年10月7日)
法量:19.7×69.7
所蔵:米沢市上杉博物館
〔解説〕
幕府老中から米沢藩主上杉斉憲に宛てた、朝廷による斉憲の中将任命を、将軍が追認した際の文書です。
江戸時代には、幕府の推薦(実質的には任命)があってはじめて、諸大名は朝廷から官職を得ることができました。ところが、文久3年九月22日、斉憲が米沢に帰るにあたり、御所に暇乞いの挨拶に伺い、朝廷から中将に任じられました。斉憲が江戸に戻ってから、10月7日になって幕府はこの文書を出し、中将任命を追認したのです。大名を序列化し、統制する官職の実権を、朝廷が掌握していることになります。朝廷の権力が幕府をしのぐようになった、幕末の状況を示しています。
〔翻刻〕
(端裏書)
「 上杉弾正大弼江」
上杉弾正大弼
其方儀久々滞京
精勤深
叡感被為在候、依之
以格別之
思召、中将
御推任被
宣下旨及
上聞候処
叡慮之通中将被
仰付之
◆コレクショントーク
平成27年10月31日(土)14:00〜
担当:当館学芸員 佐藤 正三郎
場所:常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
次回、平成27年度予定
上杉文華館 《 国宝上杉家文書にみる幕末の米沢藩 》
「幕府の要請」
【展示期間】:平成27年11月26日(木) 〜12月20日(日)
◆コレクショントーク 平成27年11月28日(土) 14:00〜
お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238−26−8001まで
皆さまのご来館を心よりお待ちしております。