上杉文華館「明治政府のもとで」:置賜の宝発掘プロジェクト(仮称)

置賜文化フォーラム
上杉文華館「明治政府のもとで」

「上杉文華館」の3月の展示をご紹介します。

 当館常設展室内では国宝上杉家文書を常時見ることができる上杉文華館があります。

 今年度のテーマは「 国宝『上杉家文書』に見る幕末の米沢藩」です。

 上杉家文書のうち幕末期のものは未だ活字化されていないものも多く、初公開の資料もご紹介します。

 平成27年度、全12シリーズの最後は…

「明治政府のもとで」です。

【展示期間】:平成28年3月1日(火)

            〜平成28年3月27日(日)

 明治元年(1868)12月、奥羽諸藩に対する戊辰戦争の処罰が示され、米沢藩は藩主・上杉斉憲の隠居と茂憲の家督相続、4万石の減封、首謀者重臣の届け出を命じられました。この後、米沢藩は戊辰戦争での「朝敵」の汚名をそそぎ、「勤皇」の姿勢を示すため、中央集権体制構築を進める明治政府のもと、大胆な改革を進めていきます。

 明治2年3月、他藩の動向に合わせて米沢藩も版籍奉還(土地と人民を朝廷に返すこと)を願い出、6月に許可されると、茂憲は改めて藩知事に任じられました。改革は、斉憲が藩知事・上杉茂憲を助け、宮島誠一郎や大滝新十郎(忠義)といった新たな人材の意見を取りつつ、守旧派の反対にあいながらも実施されました。その背景には、三条実美はじめ新政府の有力者も関与していました。

 明治4年になると、士族の文武の常職解除、家産として売買可能な禄券の給付といった急進的な改革が、親戚でもある土佐藩にならって進められ、改革派諸藩として中央政局にも影響を与えます。しかし7月に廃藩置県の詔勅が出され、米沢藩は終焉を迎えたのです。

 

国宝「上杉家文書」

上杉斉憲宛三条実美書状

時代:明治2年(1869)12月22日

法量:18.3×144.0

所蔵:上杉博物館

〔解説〕

 明治政府で右大臣の要職にあった三条実美から、上杉斉憲宛の書状です。千坂高雅(号・嘉遯斉)を米沢藩大参事に任命した事情を説明している内容から、明治二年の文書と分かります。

 この書状に先立って、米沢藩では千坂を権大参事(大参事に次ぐ第二位の役職)に任命すべく政府に届け出ましたが、政府からは最高位の大参事に任じる命令が届きました。斉憲は実美にこの齟齬の理由を問い合わせ、その返信が本文書です。

 実美は、齟齬ではなく、明治政府が千坂を有用で大参事に適していると判断して任命したのであり、速やかに人事を実行するよう求めています。さらに、詳細は米沢に戻る少参事(小川源太郎)から直接聞くよう記しています。別紙には多忙なので代筆で失礼する、とあります。

 米沢藩では、戊辰戦争での「朝敵」の汚名をそそぐためにも、藩政改革と人事刷新を進めることが重要な課題でしたが、藩内には守旧派による反対の声も根強くありました。改革推進派の藩士宮島誠一郎の働きかけを受けて、三条はこの書状を出し、千坂の大参事就任を推し進めるよう、米沢藩に働きかけたことが明らかにされています。

 

◆コレクショントーク 

  平成28年3月5日(土)14:00〜

担当:当館学芸員 佐藤 正三郎

場所:常設展示室 上杉文華館

※入館料が必要です。

 

上杉文華館 、平成28年度の予定は…

 「謙信を生んだ一族・長尾氏」です!

「長尾氏、越後へ」

【展示期間】:平成28年3月29日(火)〜4月26日(火)

◆コレクショントーク  平成28年4月2日(土)14:00〜

 

お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238−26−8001まで

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。


2016.03.03:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
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