上杉文華館 上杉鷹山の藩政改革:置賜の宝発掘プロジェクト(仮称)
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2020年度の上杉文華館は「上杉鷹山の藩政改革」と題して、国宝「上杉家文書」のうちこれまで紹介されていない未翻刻の資料を中心に約1ヶ月ごとに展示替えしながら、その他の関連資料を含めて展示します。常設展示室内の「次第に困窮に及ぶ」や、「なせばなる 鷹山登場」とあわせてご覧ください。
鷹山は、宝暦元年(1751)7月20日、高鍋藩主秋月種美の二男として江戸に生まれました。母方の祖母が4代米沢藩主上杉綱憲の娘でした。宝暦10年、8代米沢藩主上杉重定の養子となり、明和4年(1767)4月24日、上杉家の家督を継ぎ、数え年17歳で9代藩主となりました。当時の米沢藩は、借金の累積、家臣団の困窮と秩序の混乱、天災や過重な税負担による農村の荒廃と人口の減少など、多くの課題を抱えていました。
鷹山は、竹俣当綱や莅戸善政をはじめ多数の優秀な家臣とともに、財政の再建と産業育成、学問の振興と家臣団秩序の厳格化、農村の復興と人口増加策など、様々な改革を実施します。天明5年(1785)に35才で隠居した後は、米沢にあって10代治広、11代斉定の藩政を助けて改革を継続し、文政5年(1822)に亡くなりました。
【展示期間】2020年3月21日(土)〜2020年5月19日(火)
《幕府の御用》
幕府から命じられる様々な御用(役負担)は、いずれも多額の出費を伴うものであり、米沢藩困窮の大きな要因です。一方で戦いとその備えはもちろん、公的な普請(工事)を担うこと(普請役)は、幕藩体制下の大名に課せられた義務であり、避けられないことでした。
当時、米沢藩は明和6年(1769)の江戸城二の丸普請(1万6200両)、寛政10年(1798)の延暦寺山門諸堂修理(2万2300両)、文化10年(1813)江戸城紅葉山の普請(約1万8400両)といった普請役を負担しています。さらにロシア船が蝦夷地(北海道)や日本海近海に姿を見せ衝突が起こると、寛政9年(1797)以降には越後岩船郡の沿岸警備、文化4年(1807)以降は蝦夷地出兵の準備を余儀なくされました。
▼ コレクショントーク
2020年4月5日(日) 「幕府の御用」
2020年4月29日(水・祝) 「鷹山と治広」
時間:14:00〜
場所:常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
皆さまのご来館を心よりお待ちしております。
【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238−26−8001