令和4年度 上杉文華館「関東管領上杉氏」:置賜の宝発掘プロジェクト(仮称)
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令和4年度 上杉文華館「関東管領上杉氏」
2022.03.29:Copyright (C) 伝国の杜 情報BLOG
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令和4年度の上杉文華館は「関東管領上杉氏」をテーマに、国宝「上杉家文書」などを展示します。
長尾景虎(上杉謙信)は、永禄4年(1561)閏3月、上杉憲政から山内上杉氏の名跡と関東管領職を譲り受けました。ここに、後に米沢藩主となる上杉氏が成立しました。この関東管領の地位を名分として、謙信は関東に出兵し、同じく関東管領を称した北条氏と抗争を繰り広げました。また、江戸時代には関東管領に上杉家の歴史的アイデンティティを見出していました。この謙信が継いだ上杉氏の歴史を国宝「上杉家文書」からみていきます。
室町幕府は、東国支配のために鎌倉府という地方機関を設置しました。これは、足利尊氏の息子義詮・基氏、そして基氏の子孫に継承された鎌倉公方をトップとして、幕府とほぼ同様の組織を編成し、管下の武士に対して強力な支配を行っていました。その鎌倉府のナンバー2の地位にあって、鎌倉公方を補佐し、政務を統轄する立場にあったのが関東管領でした。初期は上杉氏以外の諸氏も含めた人事がなされましたが、最終的に山内上杉氏が継承、家職と位置付けられていきました。15世紀半ばに鎌倉公方と関東管領の対立によって鎌倉府が崩壊した後も、関東支配の重要な地位にあり続けました。
《上杉氏の台頭》
【展示期間】3月29日(火)〜4月26日(火)
第1回目は、「上杉氏の台頭」と題し、鎌倉時代末から南北朝初期(14世紀半ばごろ)、上杉氏が歴史の表舞台に時代を動かす存在として確かな足跡を残し始める時期の動向、特に重要人物について紹介します。上杉氏は勧修寺氏支流の出身で、朝廷に仕えていましたが、建長4年(1252)、後嵯峨天皇の皇子である宗尊親王が、鎌倉幕府6代将軍に就任した際、重房が随行して鎌倉に下り、武家となりました。また、重房・頼重親子2代にわたって娘を有力御家人の足利氏に嫁がせたことから、足利氏との密接な関係を築きました。そして、頼重の娘清子は足利尊氏・直義兄弟を生みました。
鎌倉幕府の打倒、建武の新政の成立と崩壊、室町幕府の成立と、大きく変化する情勢の中心に尊氏・直義兄弟はいました。行動を共にした上杉氏は、その時代を動かす役割の一端を担いました。
「国宝上杉本洛中洛外図屏風」(複製)も展示します。2000年制作の複製で、現状を忠実に再現しています。
▼ コレクショントーク
日時:4月3日(日) 10:00、15:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
皆さまのご来館を心よりお待ちしております。
【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001