講演会「性同一性障害を越えて」−強くしなやか私になるー:生涯学習ノート
生涯学習ノート |
講演会「性同一性障害を越えて」−強くしなやか私になるー
2008.05.25:Copyright (C) 年だからでなく年がいもなく
性同一性障害当事者起業する!の講演
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選挙の時にメディアで紹介されましたのでご存知かと思います
主催は秋田のESTOという団体ですが、代表が「真木さん」という方です
真木さんも性同一性障害者なのです
昨年、性同一性障害の方々が就職活動をする際ハローワーク内で大きな声で名前を呼ばれる(名前と見た目が違う)という問題がありました
二人で秋田の労働局に改善をお願いに行きました
今回の会合には障害者、親、関係団体の方々25名ほど集まりました
上川さんが2時間かけて・性の問題全般、・自分の問題、・これからの展望の3つに分けて話されました
“性”に関しては、私も俗語としてのニューハーフ、オナベ、オカマや、一般的用語としてのホモセクシュアル、ゲイ、レズビアンなどの表面的な知識しかありませんでした
今回の話から“性”の裏に横たわる深くて重たい問題が横たわっていることを知らされました
性的少数派の方々が社会から遮断されたような状態のなかで声を出せないまま一人苦しみ悩んでいる状況
親にも言えず家族の中でも孤立せざるを得ない状況
言葉でいってもトランスセクシュアル、トランスジェンダー、インターセクシュアルなどなど
自分のことを話すときは辛い思いを思い出すのでしょうか、嗚咽しながらの話でした
13歳で初恋した相手は男性であり、その後も男性にしか関心が持てない自分を疎ましく思ったこと
大学卒業後男性として就職し、7年間も勤めたそうです
子供のころから体と心がばらばらで、自分の性のアイデンティに関しては苦しみ悩みぬいたそうです
ある時親に告白し、性同一性に比較的寛容といわれるシンガポールやロスアンゼルスで暮らしたあと本当の自分らしさを見出すことは出来ずに日本に戻ったそうです
苦しんでいるのは自分だけではない、少しでも解決していくためには「顔を出さない」とだめだと思い
区議会議員に立候補する決意をしました
最初は偏見のなかで選挙活動を始めたのが、毎日街頭演説しているうちに世間の目が変わってきて、当選にたどり着くまでの話は圧巻でした
講演終了後質問に入りましたが、障害者の方々が球状を訴えながらも、立ち向かっていく決意を話されました
親の一人は、「自分の子どもから性同一障害者であることを告白されたが、自分は男、女よりも一人の人間として受け止めていきたい」と涙をこぼしながら話していました
上川さんは一つ一つの質問に自分の体験を交えながら丁寧に話をされました
勇気をもって、自分で立ち向かっていってほしいことを繰り返し話しておられました
真木さんは秋田の田舎におりながら、秋田、仙台そして大阪と活動の輪を広げています
社会的少数派で弱い立場に追いやられている人々に対して暖かい手を差し伸べていきたいものです
上川さんは「変えてゆく勇気」− 「性同一性障害」の私から −(岩波新書)を出しております