40歳過ぎての「哲学」?:生涯学習ノート
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40歳過ぎての「哲学」?
昨日からの4日間の中高年齢者の再就職支援セミナーである
3日間は10時から4時までの5時間、4日目が10時から12時までの2時間のセミナー
受講生数は28名、うち女性9人
今日までは[自己理解]を中心としての講義とワークショップ
明日は1日模擬面接で最終日は2時間の事例研究
「自己理解」はアセスメントによる自己特性の把握と、振り返り、棚卸からの価値観、能力、興味・関心などの把握
毎回感ずることであるが、40歳過ぎてからの「価値観探し」や「能力の把握」は難しい
受講生も戸惑いの表情を見せる
日本の社会には欧米と違って「自我形成」の機会というのは非常に少ない
「皆で渡れば怖くない」、「和をもて尊しとなす」の世界であるから、自分の価値観を、組織の価値観や世間体などにすり替えて生きてきてしまっているかも
能力も年功序列の曖昧な評価基準でマア、マア、でやってきてしまったので、いまさらあなたの能力は?といわれてもぴんと来ない
それを「仕事探しは自分探しから」などと口当たりよく言われて、懸命に価値観探しと能力把握の作業である
「仕事選びは人生選び」などとさらに格好よく拍車をかけられて、中高年齢の皆さんは一生懸命取り組んでくれる
さらに追い討ちをかけるように、価値観だけでなく、人生観、仕事観まで求めてしまう
中高年齢者の皆さんにとっては、40歳を過ぎてから、にわかに不慣れな「哲学」をさせられているような気持ちになってしまっているのではなかろうか
その努力には頭が下がる思い
「頑張って」と、エールを送りたい気持ち
求職活動のなかでの「自分の見直し」(自己理解)が1日でも早く就職に結びつくことを強く願う
さらに「自己理解」が、これからの受講生一人ひとりの生き方にプラスになってくれることを祈願しながら明日からのセミナーに臨みたい
2008.08.06:Copyright (C)
年だからでなく年がいもなく
「自己理解」にこのごろ思うこと
私も長い間「自己理解」と言う言葉に悩まされつづけてきた一人です。
現役時代の社内研修で、また何か機会あるごとに「自己理解」と言う言葉に出会ってきたような気がします。
私がもっともこの言葉にショックを受けたのは57歳で「肩たたき」に遭遇したときです。
そのときは確か「自立してください」とこの「自己理解をしましょう」でした。
私は腹が立って「何て身勝手な、手前味噌なことを言うんだろう」
としか思えませんでした。そしてその思いは今も消えることはありません。
求職期間中にも講師の先生がおっしゃっていました。
「失業期間が長いと充電の時間ではなく放電の時間になりますよ」今は「即戦力」「エンプロイヤビリティー」が求められているんです。そして、そのためには「自己理解」が重要です。
私にはこれらの言葉が「自己理解」どころか「脅し文句」にしか聞こえませんでした。
このような体験から今、私は自分自身のメンタルヘルスを修業中です。
こころとからだが疲れ切って不健康になっているとき「自己理解」など出来るはずがなかった・・・と言う自分自身の反省をこめて。
2008.08.25:畑山良四郎 [
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自己理カはタマネギの皮をむくようなもの
ブログにも書いていますが、私もいまだに「自己理解」というのは
良く分からないのです
自分で自分の理解ができないままなのです
歌手の小椋さんは銀行を辞めてから大学院に行きました
おそらくキャリアを勉強されたことと思います
「自己理解はタマネギの皮をむくようなもので、むいてもむいても芯がみえない」といっています
むいてるプロセスが大事。生涯かけて自己理解だ、ということでしょうか
例え就職支援でも簡単に「自己理解」などとはいいたくないですね
自分ができていないのですから
畑山さんはまた別の視点からのアプローチとお見受けしましたが・・・
2008.08.25:長朗 [
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心の開放
「自己理解はタマネギの皮をむくようなもの」「むいているプロセスが大切」「生涯かけて自己理解」なるほど〜!いい例えと理解ですね!
私は今回長山さんからのお誘いを受けて、生まれて初めてブログというもので自分の思いを表現してみました。
ブログに自分の思いを書いているとき、そして長山さんから共感的に理解していただいたコメントをいただいたとき、なんともいえない、今までに味わった事のない「心の開放感」を感じました。
何かタマネギの皮をむき切って、芯が見えたような錯覚を覚えました。
2008.08.26:畑山良四郎 [
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私も心の開放があるから書き続けています
畑山さんのコメントを拝見したとき、思いっきり自己開示をされてるなと思いました
60歳を過ぎたら裃や仮縫いの衣装は脱ぎ捨てて、本当の自分に少しでも近づきたいものです
年寄りが成長できるということは新しいものを身につけることよりも、脱ぎ捨てていくことではないかと思うのです
余計なものを取り去って素の自分に近づけば、身も心も軽くなり、そこに新しいネルぎーが湧き出でるような気がします
ここいらへんは実際に年取った人でないとわからないかもしれません
私はそれを感じています
2008.08.26:長朗 [
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明日は1日模擬面接で最終日は2時間の事例研究
「自己理解」はアセスメントによる自己特性の把握と、振り返り、棚卸からの価値観、能力、興味・関心などの把握
毎回感ずることであるが、40歳過ぎてからの「価値観探し」や「能力の把握」は難しい
受講生も戸惑いの表情を見せる
日本の社会には欧米と違って「自我形成」の機会というのは非常に少ない
「皆で渡れば怖くない」、「和をもて尊しとなす」の世界であるから、自分の価値観を、組織の価値観や世間体などにすり替えて生きてきてしまっているかも
能力も年功序列の曖昧な評価基準でマア、マア、でやってきてしまったので、いまさらあなたの能力は?といわれてもぴんと来ない
それを「仕事探しは自分探しから」などと口当たりよく言われて、懸命に価値観探しと能力把握の作業である
「仕事選びは人生選び」などとさらに格好よく拍車をかけられて、中高年齢の皆さんは一生懸命取り組んでくれる
さらに追い討ちをかけるように、価値観だけでなく、人生観、仕事観まで求めてしまう
中高年齢者の皆さんにとっては、40歳を過ぎてから、にわかに不慣れな「哲学」をさせられているような気持ちになってしまっているのではなかろうか
その努力には頭が下がる思い
「頑張って」と、エールを送りたい気持ち
求職活動のなかでの「自分の見直し」(自己理解)が1日でも早く就職に結びつくことを強く願う
さらに「自己理解」が、これからの受講生一人ひとりの生き方にプラスになってくれることを祈願しながら明日からのセミナーに臨みたい