「新・がん50人の勇気」:生涯学習ノート
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「新・がん50人の勇気」
文芸春秋 柳田 邦男
がんで亡くなった各界の著名人、昭和天皇、武満 徹、山本七平、乙羽信子など50人の死出の旅に出たときの様子と最後の生き方について書かれている
取り上げている人たちは著名人ならではの豊かな人間性と独自の死生観を持っている方々である
さらにプロフェッショナルとして、死ぬまでやりたいこと、やり続けられることを持っている人々でもある
がんと宣告されてから死ぬまでの状況については誰1人として同じではないが
描かれている50人1人ひとりが極めて個性的で生き抜く内実が実に濃い
その「生と死」のあり方は、死は決して終わりではないということを読み手に伝えてくれる
1人ひとりについて丁寧に書かれているのでそれぞれの死ぬ間際の生き方や死に方について感銘を受ける
ドキュメント風に淡々と描写しているので、読み手の思い入れの幅が大きくなる
著者は述べる
「死者を訪ねる旅は、生者を訪ねる旅だ」
「死を考え、死の思索を究めるとは、いかに生きるかを考えることだ」
著者は様々な個性にあふれる死のかたちを、1つひとつ丁寧にとらえることによって、現代に生きる人間1人ひとりの生の証を、人生の証明の当たる場面だけでなく、死を含む精神性の命の全体像として捉えようとしている
さらに著者は述べる
『確かに死は終わりではない。私はそのことをより積極的にとらえて、新しい「精神のいのちのライフサイクル」あるいは「魂のライフサイクル」というものを提唱している
経済の高度成長期に流行したライフサイクル論は。人は生まれてから上昇を続け、中年期に最高潮に達した後、徐々に下り坂に転じ、死をもって終わる、というものだった
これは、人間の体力や生産性や社会的活動を主要な指標にしたものであって、精神生活あるいは精神性がほとんど視野の外に置かれている
しかし、人間の精神生活に主眼を置くなら、人生後半こそ上昇を目指すべきであり、とくにその人の生き方や言葉や生きた証が、遺された人々の心の中で行き続け、生きる支えとなって新しい人生を生み出し膨らませる大切な心の遺産となることを考慮すると、人の精神的いのちは死で終わることはなく、死後もなお成長を続けるととらええることができる
そのような意味において、「死後生」というものをとらえるなら、われわれは死をより受け入れやすくなるだろうし、死を前にした生き方の大切さを自覚しないではいられなくなる
このような視点に立つなら、死を学び、よりよい死を創ることは、この国の人々が心豊かな人生を送れるようになるための文化的課題と位置づけるべきだろう』と
がんを患っている者の1人として勇気づけられる死に対する考え方である
また、中高年齢者にライフプラン作成を促す仕事をしている者として死の位置づけについて再考してみたい
著者は次のようなことも述べる
「死は人に謝罪の念や和解や優しさをもたらす力を持っている」
「人は死を意識せざるを得ないような重大な病気になると、感覚が鋭敏になり、物事の根源的なこと本質的なことを考えるようになる」
「生を支える根源的な条件の第1は何かといえば、それは自分を表現する機会に恵まれていること、あるいは自分を表現する手段を持っていることではなかろうか
自分を表現するとは、作家が文章を書く、画家が絵を描く、ように自分ならではの仕事の成果を目に見える形にすることだろう」
「たとえ世界が明日終わりであっても、私はリンゴの樹を植える」ルッターの言葉が印象に残る
自分ががんになって死を意識するようになったら、確かに物見方や考え方が変わり、新たな家族の関係作りにも心がけるようになった
自分を表現するということは老いた凡夫としては難しい課題であるが、今携わっているキャリア形成や就職支援などの活動を続けていく事を選択したい
418Pの厚みのある本であるが、1人ひとりの死出への旅と最後の生き方を読み進んでいくとあっという間に読み終えてしまう
2010.03.23:Copyright (C)
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がんで亡くなった各界の著名人、昭和天皇、武満 徹、山本七平、乙羽信子など50人の死出の旅に出たときの様子と最後の生き方について書かれている
取り上げている人たちは著名人ならではの豊かな人間性と独自の死生観を持っている方々である
さらにプロフェッショナルとして、死ぬまでやりたいこと、やり続けられることを持っている人々でもある
がんと宣告されてから死ぬまでの状況については誰1人として同じではないが
描かれている50人1人ひとりが極めて個性的で生き抜く内実が実に濃い
その「生と死」のあり方は、死は決して終わりではないということを読み手に伝えてくれる
1人ひとりについて丁寧に書かれているのでそれぞれの死ぬ間際の生き方や死に方について感銘を受ける
ドキュメント風に淡々と描写しているので、読み手の思い入れの幅が大きくなる
著者は述べる
「死者を訪ねる旅は、生者を訪ねる旅だ」
「死を考え、死の思索を究めるとは、いかに生きるかを考えることだ」
著者は様々な個性にあふれる死のかたちを、1つひとつ丁寧にとらえることによって、現代に生きる人間1人ひとりの生の証を、人生の証明の当たる場面だけでなく、死を含む精神性の命の全体像として捉えようとしている
さらに著者は述べる
『確かに死は終わりではない。私はそのことをより積極的にとらえて、新しい「精神のいのちのライフサイクル」あるいは「魂のライフサイクル」というものを提唱している
経済の高度成長期に流行したライフサイクル論は。人は生まれてから上昇を続け、中年期に最高潮に達した後、徐々に下り坂に転じ、死をもって終わる、というものだった
これは、人間の体力や生産性や社会的活動を主要な指標にしたものであって、精神生活あるいは精神性がほとんど視野の外に置かれている
しかし、人間の精神生活に主眼を置くなら、人生後半こそ上昇を目指すべきであり、とくにその人の生き方や言葉や生きた証が、遺された人々の心の中で行き続け、生きる支えとなって新しい人生を生み出し膨らませる大切な心の遺産となることを考慮すると、人の精神的いのちは死で終わることはなく、死後もなお成長を続けるととらええることができる
そのような意味において、「死後生」というものをとらえるなら、われわれは死をより受け入れやすくなるだろうし、死を前にした生き方の大切さを自覚しないではいられなくなる
このような視点に立つなら、死を学び、よりよい死を創ることは、この国の人々が心豊かな人生を送れるようになるための文化的課題と位置づけるべきだろう』と
がんを患っている者の1人として勇気づけられる死に対する考え方である
また、中高年齢者にライフプラン作成を促す仕事をしている者として死の位置づけについて再考してみたい
著者は次のようなことも述べる
「死は人に謝罪の念や和解や優しさをもたらす力を持っている」
「人は死を意識せざるを得ないような重大な病気になると、感覚が鋭敏になり、物事の根源的なこと本質的なことを考えるようになる」
「生を支える根源的な条件の第1は何かといえば、それは自分を表現する機会に恵まれていること、あるいは自分を表現する手段を持っていることではなかろうか
自分を表現するとは、作家が文章を書く、画家が絵を描く、ように自分ならではの仕事の成果を目に見える形にすることだろう」
「たとえ世界が明日終わりであっても、私はリンゴの樹を植える」ルッターの言葉が印象に残る
自分ががんになって死を意識するようになったら、確かに物見方や考え方が変わり、新たな家族の関係作りにも心がけるようになった
自分を表現するということは老いた凡夫としては難しい課題であるが、今携わっているキャリア形成や就職支援などの活動を続けていく事を選択したい
418Pの厚みのある本であるが、1人ひとりの死出への旅と最後の生き方を読み進んでいくとあっという間に読み終えてしまう