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葬式は、要らない
幻冬舎 島田裕己
筆者は宗教学者、文筆家である
宗教学者の名のとおり、今の時代にマッチングするショッキングな題の本ではあるが学術的要素も加えて書かれている
古希の齢に加え、たちの悪いすい臓がんを患っていて、死を意識するようになった
死後のことを考えるときもある
そのなかにお墓のことや葬儀や戒名のことも含まれる
生まれてこの方、仏教は身近には感じてきたが、今、本当に信じているのかといわれると答えに窮す
お寺との付き合いも親戚や知人の葬儀でのつきあいくらいである
これから学習しようとは思っても、多少学習したくらいで本当に信じられるようになるかどうかわからない
信じていないのにお墓を建てたり、葬儀などを葬儀会社の言うとおりにやってしまっていいものかどうか
迷った結果、昨年、お墓だけはあるお寺の自由区画の土地を購入して建てた
突然に余命○ヶ月、と宣告されてもあわてふためかないように、
戒名をどうするか、葬儀などをどうするかはこれから決めていかなくてはならない
この本を読んで最も参考になったのは第5章の「なぜ死後に戒名を授かるのか」である
戒名は葬式仏教が生んだ制度であり、葬式仏教という堕落が、戒名と戒名料であると断定している
戒名と戒名料について次のように書いている
他の仏教国でも、出家して僧侶になったときに世俗の世界の名前を捨て、出家者として新たな名前を与えられる
出家者は世俗の生活を捨てたわけで、出家の際には全く新しい人間に生まれ変わったといえる。新しい名前はその象徴であり、それが戒名となる
ところが日本の場合は一般の在家の信者にも、死後には戒名を授かるが、それは日本にしかない制度
日本における死者は、生の世界から死の世界へと移るものの出家したわけではない
俗人は、俗人のまま亡くなったはずである
にもかかわらず俗の生活を捨てたかのように戒名を授かる
本来出家という行為と密接不可分な関係にあるはずの戒名が、それと遊離してしまったのである
他の仏教国の人が、こうした日本の戒名のあり方を知れば不思議に思うだろう
しかも、日本では、出家であるはずの僧侶が妻帯し、普通に家庭を持っている
それは破戒ではないのか
日本の仏教は戒律を蔑ろにしていると考えられても仕方がない面がある
日本の仏教は葬式仏教に成り果てたことで堕落してしまった
その堕落が、戒名と戒名料なのである、と
戒名にランクがあり、そのランクによって戒名料が違うことを事例でもって示している
本来、ランクは歴史的制度により昔からの寺と檀家との関係で決まっている
そのランクによってお寺との付き合い方や葬儀の内容まで決められていることなども紹介されている
贅沢になった葬式費用平均231万円は世界一(米44万円 英12万円韓国37万円など)だそうである
今、直葬や家族葬などが広まってきているという
それほどのお金をかけるだけの価値があるのかどうかを考えるヒントを与えてくれている
お墓やお寺と市民との関係としての檀家制度なども歴史的視点から学術的に書かれていて面白い
約半世紀前に集団就職などで故郷を後にした団塊の世代が、今、直面している自分の死にまつわる様々な課題に対してタイムリーな情報を提供してくれている本である
この本を読み終えてみると、戒名でなく俗名でいいような気がしてくる
葬儀も近親者のみで地味に行いたいと思うようになった
これから家族と相談してみる
2010.04.22:Copyright (C)
年だからでなく年がいもなく
葬儀費用について
私は父と妻の葬儀を通し、お金のかかることに本当にうんざりしました。戒名に合わせて葬儀を執り行う僧侶の人数まで決まっていて、院号は5人の3百万円からと序列があり、その戒名によりその後のお寺との付き合いの格式も違ってくるのです。宗派により僅か違いがあっても仏教は似たりよったりでしょう。私は戒名は一番安いので結構と子供たちに言っています。これは遺族のお寺への布施なので、子供たちの分相応のお付き合いでよいと思います。あちらに行ったら低い戒名だからといってそう悲しい死後の世界が待っているということはないでしょう。
東京で自然葬をやった友人の葬儀に出席しました。またこの4月25日は仙台プラザホテルで航空・グライダー協会で活躍した友人の無宗教のお別れ会が友人たちの主催で盛大に開かれます。本人が愛したシャンソンとジャズバンドの演奏も入るというのでどんな風に進行されるのか勉強して来たいと思います。
2010.04.23:菊地 和彦 [
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俗名でいこうと思っていますが・・
戒名の意味についてはブログで若干ふれましたが、戒名料については書きませんでした
貴兄のほうがすでに体験学習されているのですね
この本によると一番安い戒名は□□□□信士で10万から20万です
□が6つでも同じですが、一般には数が多くなると高くなるのだそうです
村社会の秩序をいじするために「寺請制度」がひかれ、それが
今日の格式やランクにつながっているようです
菊池家は最上位の格式、ランクでしょう
隣のご主人が3月になくなり、無宗教での葬儀でした
70歳過ぎていましたが多くの同僚や友人があつまり、多くの人たちが語りかけるというやりかたで、真実味のある葬儀でした
こんどお会いしたときには自分の葬儀のありかたが話題になり
すですね
そんな歳になっているのですよね
2010.04.24:長山 永寿 [
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筆者は宗教学者、文筆家である
宗教学者の名のとおり、今の時代にマッチングするショッキングな題の本ではあるが学術的要素も加えて書かれている
古希の齢に加え、たちの悪いすい臓がんを患っていて、死を意識するようになった
死後のことを考えるときもある
そのなかにお墓のことや葬儀や戒名のことも含まれる
生まれてこの方、仏教は身近には感じてきたが、今、本当に信じているのかといわれると答えに窮す
お寺との付き合いも親戚や知人の葬儀でのつきあいくらいである
これから学習しようとは思っても、多少学習したくらいで本当に信じられるようになるかどうかわからない
信じていないのにお墓を建てたり、葬儀などを葬儀会社の言うとおりにやってしまっていいものかどうか
迷った結果、昨年、お墓だけはあるお寺の自由区画の土地を購入して建てた
突然に余命○ヶ月、と宣告されてもあわてふためかないように、
戒名をどうするか、葬儀などをどうするかはこれから決めていかなくてはならない
この本を読んで最も参考になったのは第5章の「なぜ死後に戒名を授かるのか」である
戒名は葬式仏教が生んだ制度であり、葬式仏教という堕落が、戒名と戒名料であると断定している
戒名と戒名料について次のように書いている
他の仏教国でも、出家して僧侶になったときに世俗の世界の名前を捨て、出家者として新たな名前を与えられる
出家者は世俗の生活を捨てたわけで、出家の際には全く新しい人間に生まれ変わったといえる。新しい名前はその象徴であり、それが戒名となる
ところが日本の場合は一般の在家の信者にも、死後には戒名を授かるが、それは日本にしかない制度
日本における死者は、生の世界から死の世界へと移るものの出家したわけではない
俗人は、俗人のまま亡くなったはずである
にもかかわらず俗の生活を捨てたかのように戒名を授かる
本来出家という行為と密接不可分な関係にあるはずの戒名が、それと遊離してしまったのである
他の仏教国の人が、こうした日本の戒名のあり方を知れば不思議に思うだろう
しかも、日本では、出家であるはずの僧侶が妻帯し、普通に家庭を持っている
それは破戒ではないのか
日本の仏教は戒律を蔑ろにしていると考えられても仕方がない面がある
日本の仏教は葬式仏教に成り果てたことで堕落してしまった
その堕落が、戒名と戒名料なのである、と
戒名にランクがあり、そのランクによって戒名料が違うことを事例でもって示している
本来、ランクは歴史的制度により昔からの寺と檀家との関係で決まっている
そのランクによってお寺との付き合い方や葬儀の内容まで決められていることなども紹介されている
贅沢になった葬式費用平均231万円は世界一(米44万円 英12万円韓国37万円など)だそうである
今、直葬や家族葬などが広まってきているという
それほどのお金をかけるだけの価値があるのかどうかを考えるヒントを与えてくれている
お墓やお寺と市民との関係としての檀家制度なども歴史的視点から学術的に書かれていて面白い
約半世紀前に集団就職などで故郷を後にした団塊の世代が、今、直面している自分の死にまつわる様々な課題に対してタイムリーな情報を提供してくれている本である
この本を読み終えてみると、戒名でなく俗名でいいような気がしてくる
葬儀も近親者のみで地味に行いたいと思うようになった
これから家族と相談してみる