すい臓がん手術3周年記念日:生涯学習ノート
生涯学習ノート
参加者絞込
年だからでなく年がいもなく
起業のすすめ
■
H O M E
■
メモ集
■
カレンダー集
■
ブックマーク集
■
イメージ集
メモ集
すい臓がん手術3周年記念日
すい臓がんの手術をしたのは3年前の今日・5月1日
3年生き延びている
1月から2度にわたって1ヶ月以上の検査入退院をし、すい臓がんであるとの診断を下されたのは3月末
ベッドが空いていないということで自宅待機を命じられた
4月29日「ベッドが空いたから1日に手術どうでしょうか」との突然の電話
あわてて準備しての入院
30日に「すい臓がんの手術は大手術で10時間くらいはかかりますよ」「開いてみて肝臓に転移していれば閉じさせてもらいますからね」と簡単に言われる
え!聞いてねーよ、と思っても時間はどんどん進んでいく
女房があわてて宇都宮にいる長男に「すぐ来るように」と電話したのは30日の午後だった
手術に対する不安感は不思議なことにほとんどなかった
肝臓への転移の話は「転移していればそれはしょうがないこと」と割り切っていた
手術室に入るとき女房や次男は「おとうさん、がんばって!」と声をかけてくれたが手術室に入ったら麻酔をかけられ、頑張るチャンスはなかった
何も覚えていない
手術室を出るころ麻酔が切れてきた
宇都宮から来た長男の不安げな顔が見えた
「ついでにお腹の脂肪をとってあげたからね」というドクターの明るい声が耳に届く
手術は成功したな、とそのとき思った
すぐに集中治療室に移された
1日の滞在で済んだ
あとは退院へ向けての取り組み
点滴をぶら下げての病院内ウオーキングは病棟の看護師さんたちの賞賛の的となった
年がいもなく、いいふりこいて(秋田弁)見せていたが、回復には役立った
8階の病室の窓から見下ろした街の景色や人がうごめく様が、自分が「生きている」という思いへ誘ってくれる
「生きてみよう」と思わせてもくれたのだ
術後わずか13日で退院
半年間抗がん剤を飲んだが幸いにも副作用なし
術後1年半目にCTとMRIで転移の宣告を受けたが、PETの検査でその陰が消えた
その後念のためということで内科の先生も加わっての造影剤を入れながらの検査をしたがやはりがんは消えていた
2ヶ月かけて暗闇に引き釣りこまれ2ヶ月かけて明るみに引きあげられたような気分
少しは再発耐性がついたかもしれない
昨年12月に行った2年6ヶ月目の検査もクリア
5月31日に3年目の検査が待っている
どうなるかわからないが、今日で術後3年は生き延びたことは間違いない
喜びとしよう
今日は宇都宮からオートバイでくる長男と仙台の次男夫婦と女房の5人で、3年生き延びたことを喜ぶ会をすることになっている
がんになったことで生きることについて考えるようになった
家族のつながりも少しは固まったようである
「がんよありがとう」といいたいところだが、まだまだこれから
「いつかは死ぬのだから」と言い聞かせながら、やれることについては「凡事徹底」でやっていくしかない
2010.05.01:Copyright (C)
年だからでなく年がいもなく
▼
この記事へのコメントはこちら
題名
本文
作成者
URL
画像
編集用パスワード
(半角英数字4文字)
※管理者の承認後に反映されます。
ゲストさんようこそ
ID
PW
■
当サイトについて
■
参加者数
合計 2人
■
記事数
公開
608件
限定公開
0件
合計 608件
■
アクセス数
今日 1,174件
昨日 49件
合計 1,321,481件
■
ケータイサイト
powered by
samidare
system:
samidare community
3年生き延びている
1月から2度にわたって1ヶ月以上の検査入退院をし、すい臓がんであるとの診断を下されたのは3月末
ベッドが空いていないということで自宅待機を命じられた
4月29日「ベッドが空いたから1日に手術どうでしょうか」との突然の電話
あわてて準備しての入院
30日に「すい臓がんの手術は大手術で10時間くらいはかかりますよ」「開いてみて肝臓に転移していれば閉じさせてもらいますからね」と簡単に言われる
え!聞いてねーよ、と思っても時間はどんどん進んでいく
女房があわてて宇都宮にいる長男に「すぐ来るように」と電話したのは30日の午後だった
手術に対する不安感は不思議なことにほとんどなかった
肝臓への転移の話は「転移していればそれはしょうがないこと」と割り切っていた
手術室に入るとき女房や次男は「おとうさん、がんばって!」と声をかけてくれたが手術室に入ったら麻酔をかけられ、頑張るチャンスはなかった
何も覚えていない
手術室を出るころ麻酔が切れてきた
宇都宮から来た長男の不安げな顔が見えた
「ついでにお腹の脂肪をとってあげたからね」というドクターの明るい声が耳に届く
手術は成功したな、とそのとき思った
すぐに集中治療室に移された
1日の滞在で済んだ
あとは退院へ向けての取り組み
点滴をぶら下げての病院内ウオーキングは病棟の看護師さんたちの賞賛の的となった
年がいもなく、いいふりこいて(秋田弁)見せていたが、回復には役立った
8階の病室の窓から見下ろした街の景色や人がうごめく様が、自分が「生きている」という思いへ誘ってくれる
「生きてみよう」と思わせてもくれたのだ
術後わずか13日で退院
半年間抗がん剤を飲んだが幸いにも副作用なし
術後1年半目にCTとMRIで転移の宣告を受けたが、PETの検査でその陰が消えた
その後念のためということで内科の先生も加わっての造影剤を入れながらの検査をしたがやはりがんは消えていた
2ヶ月かけて暗闇に引き釣りこまれ2ヶ月かけて明るみに引きあげられたような気分
少しは再発耐性がついたかもしれない
昨年12月に行った2年6ヶ月目の検査もクリア
5月31日に3年目の検査が待っている
どうなるかわからないが、今日で術後3年は生き延びたことは間違いない
喜びとしよう
今日は宇都宮からオートバイでくる長男と仙台の次男夫婦と女房の5人で、3年生き延びたことを喜ぶ会をすることになっている
がんになったことで生きることについて考えるようになった
家族のつながりも少しは固まったようである
「がんよありがとう」といいたいところだが、まだまだこれから
「いつかは死ぬのだから」と言い聞かせながら、やれることについては「凡事徹底」でやっていくしかない