お盆休み(昔の8ミリフイルム観賞):生涯学習ノート
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お盆休み(昔の8ミリフイルム観賞)
14日、孫が本を買ってほしいというので長町のモールへ向かう
モールで昼食し、それぞれのグループに分かれてショッピング
家に帰ってから、昔8ミリで撮ったフイルムをビデオにダビングしたものを観る
8ミリなので音声は入っていないが60年余も経った今となっては貴重な家族の記録である
給料が安かったときに3人の子どもを育てながらよく8ミリを撮っていたものである
本数が多く、全部つなぐと1時間にもなる
ということで今までは途中で観るのをやめていたが、今回は全員で終わりまで観た
内容は誕生日や運動会、そして入園式や卒園式が圧倒的に多く、海水浴やお花見や潮干狩りも混じっている
子供達は「我が家は母子家庭だった」というが、このビデオを観るとそうでもないのではないか
誕生日や運動会で8ミリを廻しているのはいないはずの父親である
母子家庭はこのあと、平社員から管理職になったときから始ったのかもしれない
画面に映る子供達はわが子ながらかわいいしぐさや表情をしている
今だったら、駆け寄って抱き上げてしまうに違いないが、そのときはそれほどまでの思いはなかった
会社人間のはしくれとして仕事に追われ始め、心の余裕を失いかけ始めたころなのだ
8ミリに撮るくらいが関の山であったのだが、60年余あまり経って画面の子供達をかわいいと思えることは幸せなことである
8ミリに映る女房の顔はいきいきとして輝いている
5年間おしめを洗い続けていたときの顔には見えない
毎朝寝るまで3人の子育てで追いまくられていたはずなのに画面に出てくる顔は楽しそうである
素晴らしい母親だったのだ
誕生祝いには毎回のように義母が一緒に映っている
また義姉と一緒に従姉妹たちもよく遊びに来ている
昔から親戚同士が交流していた姿を今、目の当たりにできる
その交流が今でも続いているのだ
子供達も仲良く嬉々として遊びまわっている
その延長線で、子供達は幸いにして今も仲がいい
3部屋しかない狭い社宅であったが「狭い我が家でも楽しい我が家」で家族5人楽しく暮らして情景を家族7人で笑いながら、語り合いながら観続けた
死を感じるようになって、自分の人生は何だったのだろうか、自分は一体何をしてきたのか、とふと思うときがある
突き詰めて考えなかったが、答えるのは難しいと思っていた
考えて答えを出せるのではなく、感覚的に思えることが答えになるような気がしていたからである
今回このビデオ観てふと思った
自分の人生のなかで、家族の占める割合は大きい、と
その割合はこれからどんどん大きくなっていくに違いない
そうなることが死を迎えても悔いを残さずにさよならできる生き方なのだ
15日息子達夫婦はそれぞれ帰路に着いた
いつものことではあるが皆が帰ると、疲れと寂しさが押し寄せる
次ぎ会えるのは正月である
女房は接待で疲れきっているが、笑顔で見送る
この接待も後何回できるのだろうか
2010.08.18:Copyright (C)
年だからでなく年がいもなく
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子供達は「我が家は母子家庭だった」というが、このビデオを観るとそうでもないのではないか
誕生日や運動会で8ミリを廻しているのはいないはずの父親である
母子家庭はこのあと、平社員から管理職になったときから始ったのかもしれない
画面に映る子供達はわが子ながらかわいいしぐさや表情をしている
今だったら、駆け寄って抱き上げてしまうに違いないが、そのときはそれほどまでの思いはなかった
会社人間のはしくれとして仕事に追われ始め、心の余裕を失いかけ始めたころなのだ
8ミリに撮るくらいが関の山であったのだが、60年余あまり経って画面の子供達をかわいいと思えることは幸せなことである
8ミリに映る女房の顔はいきいきとして輝いている
5年間おしめを洗い続けていたときの顔には見えない
毎朝寝るまで3人の子育てで追いまくられていたはずなのに画面に出てくる顔は楽しそうである
素晴らしい母親だったのだ
誕生祝いには毎回のように義母が一緒に映っている
また義姉と一緒に従姉妹たちもよく遊びに来ている
昔から親戚同士が交流していた姿を今、目の当たりにできる
その交流が今でも続いているのだ
子供達も仲良く嬉々として遊びまわっている
その延長線で、子供達は幸いにして今も仲がいい
3部屋しかない狭い社宅であったが「狭い我が家でも楽しい我が家」で家族5人楽しく暮らして情景を家族7人で笑いながら、語り合いながら観続けた
死を感じるようになって、自分の人生は何だったのだろうか、自分は一体何をしてきたのか、とふと思うときがある
突き詰めて考えなかったが、答えるのは難しいと思っていた
考えて答えを出せるのではなく、感覚的に思えることが答えになるような気がしていたからである
今回このビデオ観てふと思った
自分の人生のなかで、家族の占める割合は大きい、と
その割合はこれからどんどん大きくなっていくに違いない
そうなることが死を迎えても悔いを残さずにさよならできる生き方なのだ
15日息子達夫婦はそれぞれ帰路に着いた
いつものことではあるが皆が帰ると、疲れと寂しさが押し寄せる
次ぎ会えるのは正月である
女房は接待で疲れきっているが、笑顔で見送る
この接待も後何回できるのだろうか