映画「玄牝」(げんぴん):生涯学習ノート
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映画「玄牝」(げんぴん)
河瀬直美監督のフアンなので勇んで観に行った
出産のドキュメンタリー映画である
古民家の日本家屋の畳の上での感動的出産の情景が次々と映し出される
「うーん」「苦しいー」とうめく妊婦、体をさする父親、タオルで母親の顔の汗をたたくようしながら一種懸命に拭う幼き娘
父親は何を思い、幼き娘は何を感じながら新たな命の誕生に立ち会っているのだろう
観ている老いたる男の眼から涙が流れる
映像とはいえ、出産という場面にこれほどまでに向き合えたことはなかった
命とはなにか、命の尊さについて誕生の場面をみるたびに考る
もっと若い時にこのような映画を観ていれば自分の人生観も変わっていたかもしれない
家族で観てほしい映画である
苦しみながらも生んだ瞬間の妊婦の喜びの声、喜びの表情が素晴らしい
生む喜び、生む快感というようなものが伝わってくる
この映画では生まれた赤ん坊はすぐにお母さんの胸のところに持っていく
赤ん坊を手にしたお母さんはわが子を抱きしめながら「生まれてきてくれてありがとう!」と何度も叫ぶ
愛知県の岡崎市にある吉村医院という産婦人科医院が舞台である
吉村先生は妊婦たちに家事労働をさせることで安産を目指すという自然派志向の産婦人科である
安全性第一で母子の命を救えればいいという今の流れとは違う流れの中で出産につきあう
吉村先生は「生だけでなく死ぬことも考えろ」という
「自分は死のリスクも背負いながら昔から伝わる自然分娩に携わっているのだ」、と説く吉村先生の言葉はどこまで伝わり、理解されているのだろう
苦闘、苦悩しながら活動する吉村先生の凛とした姿が映し出される
先生は信念の人であるがゆえに、独裁的でありカリスマ的でもある
先生とスタッフたちとの溝のようなものや、先生の娘さんとの葛藤のようなものも映し出される
吉村先生という1人の医師の生き様が描かれる
医院に併設した古民家の日本家屋で妊婦たちは板の壁に向かってスクワットをする姿が映しだされる
鶏が走り回るような広い庭のなかで出産間近な妊婦が全力で薪割りする姿も映し出される
白いベッドや機械に囲まれた病院のなかで迎える新しい命の誕生
安らぎと癒しの感じを覚える
「自然派分娩」を「自己治癒力・自然治癒力」を置き換えてみている
人間が本来持っている力を信じてみたくなる
「生を受け入れることは死をも受け入れることだ」という先生の言葉
命の誕生があるとうことは、命が尽きること・死もあるのだ
老いたる自分の死にも想いを馳せらす
「玄牝・げんぴん」という言葉について映画の最後に説明があったが字が小さくて読めなかった
国語辞典で調べてみたがなかった
ネットで調べたら『中国の「老子」の言葉からつけたもの』となっている
意味は『谷神は死せず、これを玄牝と謂うー老子』
「大河の源流にある谷神は、とめどなく生命を生み出して、尽きることはない。これを玄牝・・・“神秘なる母性”と呼ぶ」と紹介している
女房は3人の子供を産んでくれた
帰りの車のなかで、一人ひとりの出産の時の話をしながら帰った
2011.02.20:Copyright (C)
年だからでなく年がいもなく
心に沁みました
命とそのつながりや、共に生きていることが伝わってきました。気負わずにそういう映画を観られる夫婦の自然さに、何よりも感動したように思います。
私は自分の生・性を大事にできているかな。大事にすることは、思うとおりにするのではなく、関係やつながりの中に置いて、生かしていくことだよなと、いろいろ思いました。
今は観れそうにないですが、心に留めておきます。ありがとうございました。
2011.02.20:まめこ [
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出産のドキュメンタリー映画である
古民家の日本家屋の畳の上での感動的出産の情景が次々と映し出される
「うーん」「苦しいー」とうめく妊婦、体をさする父親、タオルで母親の顔の汗をたたくようしながら一種懸命に拭う幼き娘
父親は何を思い、幼き娘は何を感じながら新たな命の誕生に立ち会っているのだろう
観ている老いたる男の眼から涙が流れる
映像とはいえ、出産という場面にこれほどまでに向き合えたことはなかった
命とはなにか、命の尊さについて誕生の場面をみるたびに考る
もっと若い時にこのような映画を観ていれば自分の人生観も変わっていたかもしれない
家族で観てほしい映画である
苦しみながらも生んだ瞬間の妊婦の喜びの声、喜びの表情が素晴らしい
生む喜び、生む快感というようなものが伝わってくる
この映画では生まれた赤ん坊はすぐにお母さんの胸のところに持っていく
赤ん坊を手にしたお母さんはわが子を抱きしめながら「生まれてきてくれてありがとう!」と何度も叫ぶ
愛知県の岡崎市にある吉村医院という産婦人科医院が舞台である
吉村先生は妊婦たちに家事労働をさせることで安産を目指すという自然派志向の産婦人科である
安全性第一で母子の命を救えればいいという今の流れとは違う流れの中で出産につきあう
吉村先生は「生だけでなく死ぬことも考えろ」という
「自分は死のリスクも背負いながら昔から伝わる自然分娩に携わっているのだ」、と説く吉村先生の言葉はどこまで伝わり、理解されているのだろう
苦闘、苦悩しながら活動する吉村先生の凛とした姿が映し出される
先生は信念の人であるがゆえに、独裁的でありカリスマ的でもある
先生とスタッフたちとの溝のようなものや、先生の娘さんとの葛藤のようなものも映し出される
吉村先生という1人の医師の生き様が描かれる
医院に併設した古民家の日本家屋で妊婦たちは板の壁に向かってスクワットをする姿が映しだされる
鶏が走り回るような広い庭のなかで出産間近な妊婦が全力で薪割りする姿も映し出される
白いベッドや機械に囲まれた病院のなかで迎える新しい命の誕生
安らぎと癒しの感じを覚える
「自然派分娩」を「自己治癒力・自然治癒力」を置き換えてみている
人間が本来持っている力を信じてみたくなる
「生を受け入れることは死をも受け入れることだ」という先生の言葉
命の誕生があるとうことは、命が尽きること・死もあるのだ
老いたる自分の死にも想いを馳せらす
「玄牝・げんぴん」という言葉について映画の最後に説明があったが字が小さくて読めなかった
国語辞典で調べてみたがなかった
ネットで調べたら『中国の「老子」の言葉からつけたもの』となっている
意味は『谷神は死せず、これを玄牝と謂うー老子』
「大河の源流にある谷神は、とめどなく生命を生み出して、尽きることはない。これを玄牝・・・“神秘なる母性”と呼ぶ」と紹介している
女房は3人の子供を産んでくれた
帰りの車のなかで、一人ひとりの出産の時の話をしながら帰った