山口羽黒から西田尻毘沙門天へ:長井市観光ポータルサイト|特派員
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山口羽黒から西田尻毘沙門天へ
2016.05.05:Copyright (C) 獅子宿燻亭5
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なんだか吹き下ろす西風が強い・・のぼり旗が風圧で軋んで悲鳴をあげている。
ちと肌寒いが同じ気温でも秋より春の風は心理的に暖かい気がするのは自分だけだろうか。
新緑も一日一日と濃さを増してきた。
新調制作中で塗りに出している白鷹町山口地区羽黒神社の獅子舞を拝見しに出向く。
昨年破損し修理してカムバック戦で、ちょっと不安心配な親心も備わったところだ。
獅子舞創作中、公民館前で車窓からチラッと白装束の人の姿が視界に入った。発見!
昨年11月、収穫祭で獅子彫り実演を行なった公民館でもある。
丁度公民館を獅子宿にし、お休みの最中だった。
やがて出獅子になり、ご信心を受ける場面となる。
写真の様に獅子頭の顎を、傾げた信者の頭にそっと乗せる所作である。
十王や浅立ではその所作を「いただかせ」という。
浅立では頭の上でパクンと歯打ちをしてもらうが、鮎貝系は乗せるだけだ。
以前も話題にしたが、塩井の毘沙門天でお大般若を受けた時、最後に僧侶に経文を頭の上に
乗せてもらった所作と共通する感がする。
「戴かせ」か「頂かせ」なのか不明で研究の余地がある。
羽黒神社の社殿は山の上なので下山の際、太鼓は山伏の背負う笈(おい)という形の太鼓台を
用いるが、下界では太鼓を吊り下げ棒を通して、担いで叩きながら移動する。
さて次の公民館に移動を始めた所で、私は次の目的地西田尻に向かう。
移動して直ぐに丁度よく毘沙門天の獅子舞いと出会った。
横越文珠かと勘違いした。横越は10月だ。
横越文珠の獅子頭も制作していて、獅子頭がそっくりなので戸惑って驚いてしまった。
獅伝の親分が自分を見つけて目の前にヒョッコリ現れた。
西田尻の毘沙門天はお初なので心強い。近くに熊野神社の獅子舞もあり、ややこしい。
熊野神社の神殿の彫刻の記名に「菅原◯◯」の記名を見つけて写真を撮影したが、風化が著し
く判別出来ない。
「菅原」と言えば十王龍沢寺の彫り師 菅原鹿蔵 近くの瑞龍院の彫刻も手掛けてい
る事もあり「菅原」となれば「鹿蔵」になるはずだが・・・判別出来ないまで風化してしまっ
ている。北向きで風雪に晒されている場所だ。
毘沙門天の獅子舞い一行は、獅子頭を担いで移動し獅子宿に休憩だ。
敷地の庭で獅子が舞い、屋敷の住人が座敷に座りながら獅子がお休みするのを待っている。
春を告げる花々で長閑な農村風景は心を和ませる。
宿を離れ、すぐ近くの毘沙門天社殿に訪れてみた。
チェックポイントを撮影すると拝殿に置かれた獅子頭を納める獅子箱を撮影させてもらった。
しっかりとした記名が残っていたが、達筆古文書でナカナカ読めない。
二つの穴は鼻の穴、ぶら下がる物は耳、妙な木箱は稽古用の箱獅子だった。
春は強風にあおられ駆け足で進んでいく。