軽鉄人物伝�� 荒砥町5人衆(その2):長井市観光ポータルサイト|特派員

長井市観光ポータルサイト|案内人
軽鉄人物伝�� 荒砥町5人衆(その2)


 さてこうした荒砥町の軽便鉄道にかけた情熱は、どこから生まれたのでしょうか。その一端が知れるものとして、大正12年4月22日に掲載された荒砥町長の談話を紹介したい。

 

 荒砥は最上川舟運の時代は交通の要衝であり、置賜村山の物資の集積地であった。それが奥羽線の開通後は赤湯が拠点となり、長井線の開通により長井町が地方の中心地であるようになった。このままでは荒砥は廃れるばかりである。荒砥までの延長によって、奥羽線と連絡できた事は喜ばしいが、今後は左沢と結び仙山鉄道と坂町線によって仙台、越後と直接交流することが必要だ、というのである。当時の荒砥町の危機感と夢の大きさを感じるものである。

 

 荒砥駅の開業は15年以上の闘いの歴史であった。「天地人」ではないが、天の時にも恵まれず地の利もなく、人の和のみで挑んだ戦いであったのだろうか。新聞記事で「近い将来、村山左沢と接続することは既定の事実である」と評された左荒線も、何度も紆余曲折を繰り返しながら、結局は実現されることはなかったのでした。

 

 

【新聞記事提供:米澤新聞 大正12年4月22日(二)】


2019.06.23:Copyright (C) 山形鉄道おらだの会
▼この記事へのコメントはこちら
題名


本文


作成者


URL


画像

編集用パスワード (半角英数字4文字)


 ※投稿後すぐに反映されます。
ゲストさんようこそ
ID
PW

■参加者数
 合計 35人
■記事数
 公開 873件
 限定公開 0件
 合計 873件
■アクセス数
 今日 1,362件
 昨日 278件
 合計 762,301件
powered by samidare
system:samidare community