秘伝の儀式:長井市観光ポータルサイト|特派員
長井市観光ポータルサイト|案内人
■
H O M E
■
案内人情報
■
メモ集
■
カレンダー集
■
ブックマーク集
■
イメージ集
メモ集
秘伝の儀式
ついに公開する時が来た・・・。
成田八幡神社の獅子連中内部で密かに継承されていた儀式なので本邦初公開だろう。
但し、今だ写真公開は厳禁なので読まれる方の想像力が必要だ。
文章の表現力が問われるが、力不足は否めないので期待しないで戴きたい。
「しゃんしゃん」と呼ばれ獅子連中も残念ながら、その由来や意味は伝わっていない
まさに秘伝中の秘伝の神聖な儀式である。
だが、突拍子もないような事でもないので期待過ぎも厳禁だ。
・・・もったいぶっているが、本当に公開して後悔しないかまだ迷っているのだ。
獅子舞が終了し、水垢離した後に下帯姿で行う。
写真が無いので獅子舞の前の出祝い(仮称)の場の写真でイメージを膨らませていただきた
い。
車座になって衣装を脱ぎ、疲労困憊の獅子振り達を思い浮かべてほしい・・・。
まず角力(すもう)が神前に捧げたお神酒(成田では錫(すず)という)に付いている二つの
紙で作った栓(紙飾り みきの口)を取り角力、頭(かしら)、小頭二人の湯呑みに注ぐ。
そして角力からその湯呑みを頭、小頭に配りそれぞれが口を付ける。
そして役職を言いながら順に受け渡し一周させ元に戻すのだ。
その時に駈けるかけ声が「しゃん しゃん しゃん」なのである。
角力「しゃん しゃん しゃん」
全員「しゃん しゃん しゃん おしゃしゃのしゃん しゃん」
頭 「家内安全」
全員「しゃん しゃん しゃん おしゃしゃのしゃん しゃん」
小頭「交通安全」
全員「しゃん しゃん しゃん おしゃしゃのしゃん しゃん」
小頭「豊年満作」
全員「しゃん しゃん しゃん おしゃしゃのしゃん しゃん」
頭や小頭の発する言葉に決まりは無いそうで、「身体堅固」という時もあるそうだ。
関係者談より引用
「しゃんしゃん」で検索してみると、西日本近畿地方・・(佐渡にも)の手締めのかけ声だっ
た。
おしゃしゃんで検索すると、だんじりの手締めが出る。
長野県の大鹿村の「大鹿歌舞伎」の最後の舞台での手締めでも「おしゃしゃん」が出て来る。
youtubeで探すと三重県伊賀「陽夫多神社 裸々押し」が下帯姿で手締めの様な所作が似てい
る。
一説では「しゃんしゃん」の意味は「めでたい」で「おしゃしゃん」は「なおもめでたい」と
いう意味なのだそうである。
こうしてみると成田の秘伝の「しゃんしゃん」の儀式は西日本の文化の影響ではないか?
この前ご紹介した文久3年の獅子頭の記名には「宿 佐々木忠右衛門(成田の豪商)」と丹州
岩瀧(丹後は京都北部)の絹織物問屋の糸井品蔵が寄進とある。
その当時の盛んに行われた最上川の舟運文化交流があり西日本の「手締め」の影響が成田の
獅子舞の儀式に溶け込んだ事が想像出来る。
これも又想像だが、文久3年の成田八幡の例祭に獅子舞いが行われ、寄進した糸井品蔵が招か
れ最後の打ち上げに行われた丹波式の手締めが、今現在にも受け繋がれているのではないか?
獅子連中が大切に大切に守り続けているのは、養蚕や絹糸産業の華やかなりし時代、東西文化
交流の歴史の余韻でもある。
2016.04.01:Copyright (C)
獅子宿燻亭5
▼
この記事へのコメントはこちら
題名
本文
作成者
URL
画像
編集用パスワード
(半角英数字4文字)
※管理者の承認後に反映されます。
ゲストさんようこそ
ID
PW
■
当サイトについて
■
参加者数
合計 35人
■
記事数
公開
849件
限定公開
0件
合計 849件
■
アクセス数
今日 2,301件
昨日 267件
合計 548,192件
■
ケータイサイト
powered by
samidare
system:
samidare community
成田八幡神社の獅子連中内部で密かに継承されていた儀式なので本邦初公開だろう。
但し、今だ写真公開は厳禁なので読まれる方の想像力が必要だ。
文章の表現力が問われるが、力不足は否めないので期待しないで戴きたい。
「しゃんしゃん」と呼ばれ獅子連中も残念ながら、その由来や意味は伝わっていない
まさに秘伝中の秘伝の神聖な儀式である。
だが、突拍子もないような事でもないので期待過ぎも厳禁だ。
・・・もったいぶっているが、本当に公開して後悔しないかまだ迷っているのだ。
獅子舞が終了し、水垢離した後に下帯姿で行う。
写真が無いので獅子舞の前の出祝い(仮称)の場の写真でイメージを膨らませていただきた
い。
車座になって衣装を脱ぎ、疲労困憊の獅子振り達を思い浮かべてほしい・・・。
まず角力(すもう)が神前に捧げたお神酒(成田では錫(すず)という)に付いている二つの
紙で作った栓(紙飾り みきの口)を取り角力、頭(かしら)、小頭二人の湯呑みに注ぐ。
そして角力からその湯呑みを頭、小頭に配りそれぞれが口を付ける。
そして役職を言いながら順に受け渡し一周させ元に戻すのだ。
その時に駈けるかけ声が「しゃん しゃん しゃん」なのである。
角力「しゃん しゃん しゃん」
全員「しゃん しゃん しゃん おしゃしゃのしゃん しゃん」
頭 「家内安全」
全員「しゃん しゃん しゃん おしゃしゃのしゃん しゃん」
小頭「交通安全」
全員「しゃん しゃん しゃん おしゃしゃのしゃん しゃん」
小頭「豊年満作」
全員「しゃん しゃん しゃん おしゃしゃのしゃん しゃん」
頭や小頭の発する言葉に決まりは無いそうで、「身体堅固」という時もあるそうだ。
関係者談より引用
「しゃんしゃん」で検索してみると、西日本近畿地方・・(佐渡にも)の手締めのかけ声だっ
た。
おしゃしゃんで検索すると、だんじりの手締めが出る。
長野県の大鹿村の「大鹿歌舞伎」の最後の舞台での手締めでも「おしゃしゃん」が出て来る。
youtubeで探すと三重県伊賀「陽夫多神社 裸々押し」が下帯姿で手締めの様な所作が似てい
る。
一説では「しゃんしゃん」の意味は「めでたい」で「おしゃしゃん」は「なおもめでたい」と
いう意味なのだそうである。
こうしてみると成田の秘伝の「しゃんしゃん」の儀式は西日本の文化の影響ではないか?
この前ご紹介した文久3年の獅子頭の記名には「宿 佐々木忠右衛門(成田の豪商)」と丹州
岩瀧(丹後は京都北部)の絹織物問屋の糸井品蔵が寄進とある。
その当時の盛んに行われた最上川の舟運文化交流があり西日本の「手締め」の影響が成田の
獅子舞の儀式に溶け込んだ事が想像出来る。
これも又想像だが、文久3年の成田八幡の例祭に獅子舞いが行われ、寄進した糸井品蔵が招か
れ最後の打ち上げに行われた丹波式の手締めが、今現在にも受け繋がれているのではないか?
獅子連中が大切に大切に守り続けているのは、養蚕や絹糸産業の華やかなりし時代、東西文化
交流の歴史の余韻でもある。